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台風といえば、4年前?の19号で工場が浸水した甚大な損害をもたらし、現在の工場移転へ・・・。
今回は、浸水しない場所へ移転済みなので水は安心しているが、何が起こるかわからないのが災害。
工場の横に栽培してる青パパイヤもやっと実をつけて、収穫できるようになっていますが、霜がおりるまでのあと数か月の命と考えるとはかないものですね。
やっと実をつけたかと思うと台風襲撃により、被害を受けるかもしれない状況。
ひと夏の思い出に嫁さんと記念撮影しました。

台風18号の被害を受けないように祈るばかりです。
昭和の匂いがする子供たちと近所で恐れられている田原家の輩たちは、小さい頃から吉野保育園で泥まみれで育ったおかげで、雑菌が体を守ってくれている。
免疫が強化されているらしく、病院に行くことが少ないように思う。
しかし、活動の激しさから病気ではなく、怪我での生傷が絶えない。
2号、3号が通う小学校では、新型インフルエンザが流行しており、学級閉鎖直後、学校閉鎖になった。
ちょうど秋休みなるものの最中に学校閉鎖になったため、かれこれ10日ほど監禁状態で家じゅう暴れまわっている。
地区で一緒に歩こう会に参加した子供たちの中からも複数新型インフルエンザ患者がでたし、わたしの指導する少女バレーの子供たちの中からも患者がでたのに、田原家は誰一人今のところもらっていない。
パパイヤ酵素がたんぱく質を分解するので、インフルエンザの菌も分解されるパパイヤ効果か?カルシウムが免疫を増強し細胞壁を強化する骨満タン効果か?と独り言を言いながら、無事過ごせることを感謝する。

「もらうとすれば間違いなくおまえじゃが!」と悦子ばあは、けしかける。
人畜無害で争いごとをこのまない純な私は、否定もせず「そうかも!」とその場を立ち去る。
まるでケルト人のように・・・・。
私の父親田原たかしは、現在農業を営む。
基本的に田原家の食卓にのぼる野菜は、すべてじいの作品。
じいの話によると、17歳の時に父親から農業をならったことがあったそうだ。
当時の県知事が、農家を励ます意味で述べた一言が結果として農業をやめることの引き金となった。
農業後継者に対して、「あなた方は、縁の下の力持ちで・・・・・」
この知事の言葉に、たかしは、俺はもっと脚光を浴びたいのだ!と思ったそうだ。
その後、自衛隊に入隊するも、舞鶴港で海上自衛隊の訓練で船酔いがきつく帰郷。
また農業をしようかと思っていた矢先に、かの本田宗一郎が部下に作らせたホンダロックという車のキーセットをつくる会社が宮崎で設立される。
設立当初の社員として必死に取り組んだ。
静岡の浜松に営業所を出すために、同じく職場で出会ったかあちゃんと夫婦で静岡を開拓することに・・・・・。
いわば出張先で私ひとてま店長は生まれることになる。
営業所を無事立ち上げて、宮崎に帰ってきたときには、設立当初の開拓の雰囲気はなく、大所帯の工場になっており、ひとつの役目を終えたような感じで、心機一転新しい仕事をやろうと転職。
親戚の電器屋を手伝いながら、独立を企てていたころ、妹が誕生。
経済的にサラリーマンを続けたほうが無難と判断。
グリーンスタンプで営業を磨く。
宮崎所長となり、それなりの成果を収めた。
何かをやり遂げるとなんとなく次の仕事を探したくなる性格のようで、思い出したように電気屋さんとして独立。
その後、副業で電子部品の検査やセラミックの検査など下請け業などを経験。
工業的な仕事が東南アジアに流れていく時代にもまれ、食品加工に飛び込む。
宮崎食研を設立し、法人化。
後継者にも恵まれ、後継者に勝手に会長職に追いやられ、やり残した農業をゆっくり始めることになった。
孫育てをしながらの農業のつもりが、徐々にエスカレートしトラクターを購入、マルチ機を購入、機械好きの本領発揮で本格的専業農家になりつつある。
69歳にして挑戦したコメ作り。
おれの育てた米は、収量が多い。と自慢げ。確かにうまい。大変助かっております。
折角だから、商品風にラベルを作ってあげました。
孫も喜んで米を持って帰り、じいちゃん鼻高々。ちゃんちゃん。

気がついたら左足の太ももに、大きな青あざができている。
さして痛いわけではないが、理由がわからないと気持ちがわるい。
なぜここにあざができたのか、考えてもなかなか答えにたどりつかない。
なんとなくすっきりしない日々を過ごしていたら、答えを見つけた。
数日前、姪っ子の誕生会に御呼ばれしたときのことだ。
いつものように、田原家全員集合でハッピーバースデーを大合唱。
住宅密集地に住み慣れていない私たちは、住宅地で過ごす音域に慣れていない。
特にうちの1号、2号、3号は、ハラハラするほど叫んで走り回っている。
大合唱の後は、恒例になったひとり一芸披露。
それぞれ、ピアノを一曲づつ披露したり、体操をしたり・・・・となった。
その後、いつものように二人の兄を使い慣れている妹が、「頼みがあるちゃわ~」
とすり寄ってきた。今では教育者となっている妹の夏休みの絵を代わりに描いた名残で、今でも研究授業の挿絵を頼まれたりする。
「ダチョウを見学に行って、手を出したらだめよ!」って表現している挿絵をA4サイズでわかりやすく描いてとかなり具体的なオーダーの出し方は、人にものを頼みなれている証拠。
さて、今回は、一階にある電子ピアノを2階に上げて欲しいとのこと。
二階に上がる方法は、狭い螺旋階段しかない。
兄の意向を大事にする二男の私は、どっち持つ?とうかつにも聞いてしまった。
兄は、ニヤッとして上といった。
かくしてわたくしは、電子ピアノを縦にしないと通らないような狭いらせん階段を下から支えながら二階に持ちあげねばならなくなった。
両ももに電子ピアノを載せて、一段一段地味に登っていくしかなかった。
周辺に船頭が多く、もっと上を気をつけんか!横があたっちょるが!などなど人ごとのような声援に無事2階にたどり着き任務を終えた。
そういうわけで、大きな我慢あざができたのでした。
かわいい妹のために体を張る兄。
その妹が、2階に設置したときに真っ先に言った言葉は・・・・・・
なんと「すっげー、、、、階段に傷がついた~!」
別に「お兄ちゃん、すっげ~」って言って貰いたかったわけじゃないから良いんです。
そんなけなげな兄は、11月2日41歳になる。